
ドローンおじさんとアサダーさんと古き良きフライヤーな一日を過ごしました。
夜中に集合し調整して、出発は四時、
雨が降って居たんですけど止むことを信じてフライトエリアへ向かいます。
いつものように自販機でコーヒーを買いフライトエリアに四時半。
暗い。暗すぎる…。だって今日は雨なんですもん。
奇跡的に雨は止んできたので準備します。
中々明るくならない。
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- 2015/09/30(水) 13:06:59|
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二千年初頭、電動ラジコン飛行機界は変革の時代を迎えた。
スチロールを初めとする軽量、耐衝撃ボディーの登場、
ブラシレスモーター、リチウムポリマー電池による軽量高出力パワーソースの登場、
インターネットによる情報共有、
今まで敷居の高かったラジコン飛行機のは手軽なものとなり、
全国の空き地はパークプレーンで溢れた。
また、工業団地化の夜明け、
各地には区画整理された空き地が溢れ、
それに拍車をかける事になる。

のちにフライヤーは思う。
あの時こそが黄金時代だったんだと。
人々は試行錯誤した。今まで飛ばなかった電動飛行機が飛ぶようになった。
軽量小型のものはパークプレーンとして発売され公園程度の広さで飛ばす事が想定された。
(公園で飛ばせという意味ではない)
はじめにタイヨー月光があった。
市販価格五千円程度、強靭なボディ、お手軽飛行、
初心者には難しかったが、コツさえ掴めば上空まで上げられた。
経験を積んだフライヤーは本格的なラジコンを探す。
そしてユニオン、チャレンジャー(Mk2)が注目された。

チャレンジャーは違った。
Mk2はパンチのあるバッテリーにより比較的簡単に飛ばす事が出来た。
が、高Gをかける事により主翼が折れ、万歳したような状態で墜落する「マンセー」事故が多発、
フライヤーは恐怖し、ギャラリーは悲痛な叫び声をあげた。
情報共有をしていたインターネットフライヤーは、マンセー防止テグス、
マンセー防止バーを付けて対策した。

各社パークプレーン、トレーナーを大量に発売した。

満足に飛ばせたものはQRPのバルサキット、
他社ARF機などへステップアップしていった。
フライヤーそれぞれがHPを持ち、盛んに交流した。
飛行場で飛ばさず、町外れの広場で飛ばすものは「ゲリラ」と呼ばれた。
それぞれがそれぞれの想いで飛ばしていた。
…いい時代だった。
これが黄金時代のお話。
海外メーカーから安くて飛ぶ電動飛行機が入るようになった。
また大型プロペラに軽量メカを積む板ヒコーキも登場。
インドアでの飛行会も開催されるようになった。
そして、気軽に飛びものを体験できるトイラジコンが乱立した。
2.4G帯の登場でバンド管理は皆無、
皆の価値観はカオスとなった。
その後もラジコン飛行機、ヘリコプターは低価格で体験でき、
わざわざ機体、メカ、プロポを揃え、時間をかけて組み立てる者は少なくなった。
初級者、中間層は減り、
またインターネットによる自由な情報共有に慣れ、煩わしい人間関係を避け、
ラジコン飛行機を飛ばす為にショップを訪ねるものは皆無、倶楽部との距離も更に広がった。
それから数年、
また、数年、
ドローンと呼ばれるマルチコプターが登場し、
空物の心を持たない人々が、所構わず飛ばしまくった。
事故が起きまた犯罪も起きた。
空物に対するイメージは悪くなり、
また全国各地の空き地も無くなっていく。
ラジコン飛行業界は冬の時代となった。
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- 2015/09/15(火) 14:19:49|
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■灼熱のドローンおじさんダブルそしていよいよドローン(マルチコプター)を入手!
先駆けて友人のもじゃ、あ、いやドローンおじさん?が色々調べまくってくれて、
一万円ちょっとのトイドローンの中でも色々遊べそうなものを購入。
高級ドローンを購入(するのか?)する前にこいつを遊び倒してやろうと言うのだ。
SYMA X8Wでもラジコンヒコーキ野郎だったワイとしてはドローンに対して否定的で、
単に上下左右動くだけでしょ?という認識でした。
もじゃさんが言うには殆どのドローンは昨今のホビーではお馴染みの中華製だという、
あらかじめ選定された機種をネットで検索、最安値のものを香港?だか上海だか台湾のショップから取り寄せたのだ。
注文から手元に届くまで二週間ぐらいだったかな。
っていうかなんだこのドキュメンタリー風レポートは(汗)
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- 2015/08/19(水) 15:48:58|
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